HITOSAJI

小さな南の島からくらしのひとさじ

カオハガン島の言葉のおはなし

こんにちは!

カオハガン島のyoshieです。

カオハガン島で暮らし始めて4年過ぎました。

現地の男性と結婚したものの、わたしの言語能力の低さからか、まだまだ流暢に現地の言葉を話せません。

原因はオットが日本語を少し話せるということもあるのですが、なかなかわたしとの会話がうまく成立しないことに苛立ったのか、最近はスパルタ教育のようにバリバリの現地語を猛スピードでふっかけてきます。

おぉ。。オットよ。何言ってか、わかりません。

 

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CONTENTS

 

カオハガン島の言葉のおはなし

 

カオハガン島の言葉は何語?

 

フィリピンのビサヤ地区に位置するカオハガン島の言葉は、ビサヤ語です。

ビサヤ語は、近隣のセブ島でも話されており、セブアノ語とも言います。セブアノ語とビサヤ語は同じだとわたしは認識しておりますが、もしかすると細かな違いがあるかもしれません。イメージでは、ビサヤ語の方がなんだか古臭い感じはします。

カオハガン島は、小さな島。いわゆる田舎ですので、ビサヤ語と言いつつも、独特な発音の仕方、省略系があったり、コミュニティ内で通じる言い方などがあるようです。

 

ビサヤ語は簡単?

 

基本的に私が使っているビサヤ語は、ジャパニーズビサヤ語です。時制や単語の並びもある程度の配慮はしつつも、めちゃくちゃです。でも、単語を並べれば、なんとか通じます。そうゆう意味では簡単な言語です。

わたしの話し方は、ボビーオロゴンが日本語を話すときのように、「オマエ、何スル?」というような話し方をしていると、想像します。

家族や、一緒に仕事をしている島民スタッフは、ボビーなわたしのレベルに合わせて会話してくれるからとても助かります。わたしがボビー的に多少失礼な言い方をしてしまっても、島民たちは決して怒ったりしません。優しく見守ってくれています。

 

わたしのビサヤ語習得法

 

*わからない単語が登場したときに意味を聞く

*話したいことに含まれる、表現できない単語を教えてもらう

 

この二つのことを繰り返していくことで、ビサヤ語を習得してきました。といっても、わたしのレパートリーなんて少ないものです。わからない単語を教えてもらうのは、やっぱりオットが一番と思っていましたが、めんどくさいのか、はっきりと答えてくれません。英語で表現しづらい言葉が多いというのも事実ですが。

ムスメたちに教えてもらうのが一番かもしれないと、すでにオットから習うことを諦めています。苦笑

でも、ムスメが話していることがよくわからないという現実もすでに起こっています。

 

ムスメ「〇〇だよ!」

わたし「〇〇って、なぁに?」

ムスメ「だから、△△だって。」

 

わたしがわかるであろう単語に言い換えてくれるムスメ。涙

ありがとう。。母ちゃん、ちょっとずつ覚える。。!

 

ムスメの他に、オットの母ユーリもビサヤ語の先生です。母ユーリからは日常の生活で使うビサヤ語を学ぶことが多いです。

 

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カオハガン島の言葉とコミュニケーション

 

どんなときも名前を呼んでくれる

 

カオハガン島だけでなく、恐らくフィリピン全体でそうである、〝会話の最後に名前をくっつける〟ということが、とても面白い習慣です。

たとえば、オットがわたしに話しかけるとき、必ず名前(ヨシというのがわたしのニックネームです)を最後に入れてくれます。

 

「アリ バ、ヨシ(来なよ、ヨシ)!」

「カオン タ、ヨシ(食べよう、ヨシ)!」

「アサ カ、ヨシ(どこ行くの、ヨシ)?」

 

少々乱暴な感じで言うのが、島の訛りです。怒っているのではなく、愛情らしいです。

これはオットだけでなく、島民のほとんどの人が同じように、会話の語尾に名前を入れてくれます。

名前を呼んでくれるのは、とても嬉しいことです。わたしという存在を認めて、わたしに言ってくれているという特別感。彼らにすれば、当然であり、何気ないことなのですが、日本人のわたしにとっては、新鮮で心温まる習慣です。

 

すれ違うときに名前を呼ぶ、それがあいさつ

 

オットの友だちは、まだウリタオ(ビサヤ語で独身男性のことを指す)が多いのですが、ウリタオたち(いや、ウリタオでない人も)は、なぜかすれ違いざまにお互いの名前をちょっと変なドスの効いた声で呼び合います。

 

「ジャンドレー!」と呼ばれると、

「アルジューン!」と返す。

 

あ、オットの名前はジャンドレです。いや、ぶっちゃけて言うと、オットの名前の発音がよくわらかないのです。今回のところはジャンドレっていう名前にしといてください。笑

この風習はなんだかよくわからないのですが、オットの周りの仲良し軍団だけのルールなのかもしれないと、思っていました。

ところが、わたしもブラブラ歩いていると、すれ違いざまに「ヨォシー!」と、ドスの効いた声で呼ばれることがあるので、島民全体的にそうだということに気がつきました。

 

名前を呼ぶと同じぐらいのレベルで使われてるいる「パリ」と「マリ」

 

生まれたばかりの子どもは、キリスト教の洗礼式を受けます。

洗礼式ときに、その子どものゴットファーザーとゴットマザーになってくれた人が、その子どもの成長を両親とともに見守るという風習があります。

子どもの両親は、ゴットファーザーのことを「パリ」と呼び、ゴットマザーのことを「マリ」と呼びます。

子どもももちろん、ゴットファーザー、ゴットマザーのことを、パリ、マリと呼びます。

ゴットファーザー、ゴットマザーもその子の父親のことをパリと呼び、母親のことをマリと呼びます。

ゴットファーザー、ゴットマザー同士もパリ、マリと呼び合います。

 

意味わかりましたでしょうか?笑

つまり、洗礼式に参加した者は、子ども以外全員パリとマリです。笑

洗礼式は子どもが生まれる度に行われますので、島内のパリとマリの人口もどんどん増えていきます。もはや、パリとマリではない人はいないのではないでしょうか。

島内で誰かと誰かがすれ違いざまに、名前ではなく、「パリ〜」「パリ〜」と呼び合う姿をよく見かけますが、誰がゴットファーザーもしくはゴットマザーなのか、それとも洗礼を受けた子どもの親なのか、それとも洗礼を受けた子どもなのか、関係性が全くわかりません。

ひとつ言えることは、本人同士はわりと関係性を覚えているということと、敬意を持って、パリ、マリと呼び合っているということです。実に奥深い。

 

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道ですれ違う相手に、旬な一言で愛を叫ぶ

 

カオハガン島は、小さなコミュニティなので、毎日いつものメンバーと顔を合わせます。家族みたいなものですから、目であいさつしたりするものの、あえてあいさつをしなかったりもします。

ですが、比較的お調子者の島民は、すれ違う相手に、あいさつの代わりに一言浴びせます。

 

たとえば、妊娠中のわたしへの旬な一言でいえば、

「ハピット ナ アナッーク(もうすぐ子どもが生まれるねー)!」

「ダコ ナ ティアーン(お腹大っきくなったねー)!」

 

語尾を伸ばすような調子で、すれ違う相手に言い残して言うようにするのが特徴です。明るい性格の島民たちが相手を想いやるひとつの表現方法。爽やかなあいさつではなく、相手に対して旬な一言で、愛を叫ぶ。それが、ご近所さん同士が身を寄せ合って暮らしている島民たちの、狭く深い関係のつくり方なのかもしれません。

 

まとめ

 

ここまで言葉のことを紹介しておきながらですが、カオハガン島は言葉が通じなくても、笑顔で会話できる島民がたくさんいます。

もちろん、そんな彼らと専門的な話をすることは難しいかもしれませんが、「日常」という暮らしを笑顔と少しの言葉で、過ごすことは難しいことではありません。

むしろ、言葉がわからないからこそ、相手の目を見て、じっくり話を聞き、話の意図を注意深く汲み取るということが能力として身についていっているように思えます。

もちろん、毎度うまくいくことはありません。でも、相手の意図を聞き間違ってしまったり、勘違いしても、「あら。そりゃ違うよ!」と、笑い飛ばせるような関係っていいですよね。それこそが言葉を超えるコミュニケーション。

そんなコミュニケーションを味わえるカオハガン島はやっぱり楽しい!

 

 

椰子の木からの、くらしに大切な贈りもの

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カオハガン島民がこよなく愛する道具、椰子の葉の茎からつくるホウキ。

自然からいただく産物を利用して、長く大切に使うくらしの道具だ。島民はもちろん毎日活用しており、砂地のカオハガンで葉っぱやチリやゴミを掃除するのに最適な逸品。

 

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島では、朝早くからこのホウキを使って掃除が始まる。コケコッコーの鳴き声とともに、ザッザッと同じリズムで刻まれる音。少しかがんで腰に手を当てて掃除する島民たちの姿がそこにある。
オットと住み始めてから、島の暮らしをオットの母が少しずつ教えてくれた。母はなにも言わないが、やって見せてくれる。

わたしはぼぅーっとしているので、「そうか、これをしなくてはいけないのか!」と、気づくのに時間がかかるが、そんなわたしのことを長い目で見守ってくれる母。
朝起きたら、家の周りを掃除する。葉っぱやゴミが落ちてたら、みっともないでしょう。と、教えてくれるように、母が毎日わたしたちの家の周りを椰子の茎のホウキで掃除してくれていた。ムスメが生まれてから、ようやく暮らしにコミットし始め、家の周りの掃除を始めた。


始めはどうしたらいいかわからなくて、とにかく力任せにホウキを使っていたら、通りすがりの島民から、「ヨシ~!ダメダメ~!砂も一緒にはいちゃってるわよ、もっとホウキの先を使って優しくしなさい。」と、何人もの人から声をかけられた。他にも、「ヨシは掃除をするようになったのね!」など、ようこそ島民の入口へ!というような労いの言葉をかけてもらい、恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。


今は朝掃除をしていて、島民と会っても、あいさつをすることはあっても、誰も掃除のことを指摘してこない。わたしがホウキで掃除をすることがあたり前になり、ホウキの使い方も、「まぁ、いいんじゃない。」という感じらしい。そんなぶっきらぼうで優しい島民らしいアプローチが愛おしい。少しずつ島民の生活に順応していくわたしを見守ってくれているのかと思うと、感謝でいっぱいになる。

夜空が教えてくれること

 

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ずっと南西から吹いていたハバガットがようやく落ち着き、北西の風アミハンへ変わりだした。

当時、私の仮住まいであったお客さま用の高床式のロッジには風がなくなり、ブンブンと蚊が大量に押し寄せてきた。蚊帳は閉じ込められているような感覚がどうも性に合わず、夜はポントグで寝ることとした。バニッグと呼ばれる島民手作りのゴザを抱えてポントグに行ってみると、驚くほど心地よい風がそよそよと吹いた。

三角の形をしたポントグの真ん中にバニッグを敷いて、その上に寝転がった。久々に寝転がるポントグは、砂が堅めのクッションのようで、小さな砂粒が全身を刺激してくれている。すごく心地がよかった。ダブルベットサイズほどあるバニックを広々と広げると、愛犬のアシャンティやワンタたちがはしゃいだ。バニッグに砂が上がってしまい、それをはたくと余計に犬たちが楽しくなってしまい、夜のポントグでしばらくはしゃいでしまった。ひとしきり遊んだあと、寝転がり、ブランケットを被った。

少しひんやりとした風が優しく吹いていて、ブランケットを被るぐらいがちょうどよい気候だった。海が満ちていく小さな波の音だけが静寂の中で聞こえてくる。海水がもう足先まで来ているような錯覚を起こす。もうすぐ満月になりそうな、少しぷっくりとした月が眩しいほどポントグを照らしていた。電気よりも明るいような月の明るさに、ブランケットを頭から被って眠った。ツブ、ワンタ、アシャンティもそばで丸くなって眠った。


しばらく寝たかと思うと、敏感なツブが他の犬の侵入に気が付き、バウバウと吠え、追いかけたりして目が覚めた。三度程、目が覚め、その度に月を眺めた。眺めた月は、時間が経つごとに見事に位置を変えていた。自然のプラネタリウムだ。

寝る頃は北方面の天高く位置していた月が、次は北東へ、その次はもう東の空あたりに沈みかかっている。最初は90度ぐらいの位置、次は120度、次は150度…分度器で計測されたように、正しい位置へと動いている。最後に目を覚ましたときは月が沈んでいた。記憶の中で月の足取りを辿りながら、月が姿を消した後に現れる満点の夜空の輝きに思わず、「わ~!」という声がでた。星は自分たち以上に明るい存在が去った後、この時を待っていたかのように、暗闇の中の美しい宝石のように輝きを放っていた。こんなにも美しい星空を日本のみんなにも見せてあげたいなぁ。とつくづく思った。

考えてみると、月が夜空に輝いていても、いなくても、星は同じように毎日輝いている。しかし、厚い雲が覆いかぶさっていたり、近くにいる月が煌々と輝いているために、星の輝きが隠されてしまうことがある。人間だって同じだ。それぞれみな、とても美しく輝いている。でも、周りの環境に影響されて、その輝きを失っているように見えたり、隠されているように感じることがある。そんなことはないのだ。自分や周りのみんなは、いつも美しく輝いているのだ。そこになんの隔たりも区別もない。誰かが輝いていて、誰かが輝いていないことなんてない。自分の輝きも他人の輝きも同じ輝きなのだ。

一夜を過ごして、カオハガン島の夜空はそんなことを教えてくれた。この大きな自然が教えてくれる法則は人間にピタリと当てはまる。まさに真理である。人間は、自然から教わることがたくさんある。注意して見ていないと、自然はなんにも言わずに黙って私たちを見捨ててしまうだろう。カオハガン島の心地よさ、自然と一体になるには、自然と仲良くしなければならない。私はまだその入り口にいるのだ。

生きるということ

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PHOTO BY SHO

幼い頃、私は木造の長屋で家族と暮らしていた。

築100年近く(母のいうことだから冗談かもしれないが、私は信じている。)という建物。玄関を開けると、急過ぎる階段が目の前にあり、一階の居間のちゃぶ台でご飯を食べ、トイレはタンクからぶら下がった細い鎖を引いたら水が流れた。鍵を閉めなくても良かったし、外に出ると、近所のおばちゃんがいつもおしゃべりしていた。夜は二階の部屋で、父と兄と私で川の字になって、母は川の字に棒を刺すように縦に位置して眠る。天井では、ねずみとイタチが追いかけっこをするような賑やかな家だった。

1995年、私が10歳の頃に阪神・淡路大震災が起こった。

三連休明けの憂鬱な火曜日の朝だ。目が覚めたときには、今まで感じたことのない大きな揺れが襲って来た。古びた家だから大げさに揺れたのだろうと思っていた私たち家族は、焦ることもなくのんびりとしていた。順番にトイレに行き、「どれぐらい大きな地震だったのだろう。」とか「学校が休みかな。」とか「トイレが水でビショビショになっている!」とか、家族内で騒いでいた。日常とは違うなんだかゾクゾクした時間。

やがて、近所の皆さんが我が家から誰も出てこないと心配して、懐中電灯で照らしてきた。「後藤さーん!」と呼ぶ声が聞こえ、とぼけた私たちは外に出た。外に出て、事の重大さに気が付いた。やがて火事が町を襲い、大きな火が町を飲み込んでいく様子を見たときは、「もう死ぬかもなぁ…。」と、静かに覚悟したのを覚えている。幸いにも家は焼けずには済んだが、全壊だった。大切にしていた真っ白なアザラシのぬいぐるみは灰色になってその辺に転がっていた。

しばらく親戚の家に身を寄せてから、半分焦げたマンションの中の空き部屋に家族四人で住み始めた。八畳ほどの部屋の中で、私はとても楽しみながら、ひたすら味噌汁を作ったのを覚えている。ご飯とキュウリの漬物と味噌汁。家族で協力して、毎日を必死に生きている。それがなんとも言えない快感で、ずっとこんな日が続けばいいのにと思っていた。

カオハガンの暮らしには、その必死に生きていた日々に感じた、生き生きとした情熱がある。メラメラと燃えるような炎ではなく、決して消えることのない、温かな炎。家族はもちろんいつも一緒で、家族以外の者もウェルカム。いてもいなくても気にしない。食事を一緒に共にしたり、話になんとなく加わっていたり。横に座ったときに、肌が触れ合うことは当たり前。初めて会う子どもが、恥ずかしそうに手を引いてくる。道端で出会ったお母ちゃんが冗談でハグをしてくる。そんな島民の暮らしが愛おしい。この暮らしの渦の中に私も入りたいと思うようになった。

ある一人の島民からアプローチを受けて、お付き合いをすることとなった。その人が、現在の夫である、ジャンドレーである。

彼は、カオハガンで生まれ、育った。比較的、背が高く(といっても170cm程)、ほどよく付いた筋肉、黒々とした肌。大きな瞳で、笑うと優しい顔になる。そんな彼は、かなりのプレイボーイだと多くの島民に噂され、「あんな奴と付き合うのはよしなさい。」と、何人かの島民にアドバイスされた。だが、私にはそう映っていなかった。ワイルドで生きものを愛する男、それが彼の印象。

「例え、彼にどんな悪い過去があっても、過去に起こしてしまった行いは、現在の行いによって償うことができるのだよ。」ということを、アドバイスしてくれた島民に伝えた。実際に、彼には色々あったようだが、私にも色々あった。綺麗な真っ白のままのキャンパスの人生なんてあり得ない。

ジャンドレーとは、お互いの生い立ちをシェアし合った。過去は変えることができない、起こしてしまった良い行いも悪い行いも、自分がその時にした選択が精一杯だったのだと認めること。現在をどのように生きていくかが大切なのだと話し合った。こうして、ジャンドレーとの交際が始まり、彼の素朴な目線で見ているカオハガン島を一緒に体験する生活が始まった。

ヨーガの教えでは、すべての人がその人生でなすべきことがあるという。それをダルマと呼んでいる。私は、カオハガン島で人間本来のシンプルな暮らし方を学び、生活していく。そして、この文化を発信していくことが、私のダルマであるではないかと感じ始めていた。

願いが叶った

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コケコッコー!鶏の鳴く声で目覚める。まだ6時前だ。

漆黒の中でランタンだけの灯りがぼんやりとあった竹製のロッジに、新鮮な朝日の光が、朝を伝える。島に住み始めて、やりたかったことのひとつ、お客さまにヨーガのクラスをするということ。

カオハガン島の西側に位置する砂州、ポントグで行うヨーガはとても気持ちがいい。まだ高く位置していない太陽は、優しく私たちを照らしてくれている。島民の寝具、バニッグと呼ばれる、パンダナスの葉を加工して編んだゴザをヨガマットサイズにオーダーし、使用し始めた。表裏二重に編み込まれているので、見た目よりもふかふかしていて安心感がある。自然素材を生かすことで、大地により近づけるのだ。

まずは仰向けに寝転がり、リラックスのポーズ、シャバーサナーを行う。目を閉じて、体を控えめな大の字にし、ゆっくりと深く呼吸を繰り返していく。大地に身を委ねて、せわしなく動かしているマインドが鎮まるのを待つ。風が静かに顔や体に触れてくる。閉じた目の奥で太陽がますます輝き始めている。

犬がペロリと足を舐めてくる。自分の外側で色んなことが起こるが、気にしない。呼吸だけに意識を向けていく…。これだけでも十分気持ちがいいのだが、その後、ゆっくり体をほぐし、ヨーガのポーズに入っていく。最後にもう一度、シャバーサナーを行う。凝り固まった筋肉がほぐされ、滞っていた血管がスムーズに流れていく。体の中のたくさんの微細なものが、健やかに活動し始めるような感覚。ひとつの丸の中に、自然と自分が一体になって、うまく収まっている。この心地よさが、カオハガンの魅力のひとつなのだ。

お客さまと一緒に朝食をいただく。温かいフレッシュカラマンシージュース、ベーコン、卵料理、ご飯、フライドポテト。島民は朝に温かい飲み物を必ず飲む。温かい飲み物は、寝ている間休んでいたお腹の準備運動に最適だ。お客さまと楽しく会話しながらの食事はとても楽しく、日本の家族と離れて暮らしても、さびしく感じなかった。多くのお客さまは、飛行機の時間に合わせて、朝にチェックアウトする。ボートに乗り込むお客さまをお見送りする際に、「ずっと島にいれていいね。」と、羨ましがられることもあり、確かに、ずっとお客さまをお見送りする側に来たのだと思うと、なんだか嬉しくなった。

たくさんの方に出会い、お話をし、自然の中でヨーガをし、新鮮な食事を頂き、感謝の毎日だった。自分の中の小さな願いが叶い、島に住み始め、のんびりとした空気の中、肌の色が黒くなったり、現地の言葉であるビサヤ語の単語が言えるようになったり、現地スタイルの汚れに慣れてきたり…色んなことが変化していく。

なぜ、願いが叶ったのか。不思議なことに、私の人生の中で、強く願っていたことは、ほとんどのことが叶っている。そして、その多くが人生を変えるような重大な動きのときにやってくる。

よく、いろんな方に「移住するなんて、勇気がありますね。」と、言われる。私はいつも「何も考えてないからです。」と答える。本当にそうなのだ。勇気を振り絞ったのではなく、「今、こう進むべきだ!」と、感じとった自分が、直感的に行動した。そこからどんどん新しい世界が広がっていく。その後のことは考えない。

直感を感じる自分は、とても重要なときに降りてくるようで、それが叶うならば、今あるものを失っても構わないという覚悟も備えているようだ。自分も知らない自分が動き出していく。そんな自分が人生の舵を握っているのだから、不思議だ。そんな幸運なことにも、カオハガン島に出会い、その願いが叶った私には、きっとここに来た使命があるのだと信じている。

小さな島に恋をした

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私は、小さな南の島に恋して住み始めた。そこは、すべての生き物がまん丸の中に調和している、まるで小さな宇宙のような島。

初めてカオハガン島を訪れたのは、2010年2月。

当時働いていた雑貨店で、カオハガンキルトを販売していたのがきっかけでカオハガン島を知った。浅黒いおばちゃんが南国らしい鮮やかな配色のキルトを縫っている写真を見て、どんな島なのだろうと思いを巡らせた。

カオハガン島に訪れてみたら、驚きと感動の連続。

島は生き生きした緑色の葉っぱが揺れる木々がこんもりと島を覆っていて、その周りを美しすぎるブルーとエメラルドグリーンの海が取り巻いている。ポントグと呼ばれる白浜のビーチがあり、そこには燦々と太陽が降り注ぎ、肌に健康的なエネルギーを注いでくれる。島の子どもたちは元気にくるくると走り回ったり、木に登ったり、海で水しぶきをあげて、けたけたと大笑いしている。

心から“今”を生きている子どもたちの笑顔からは、幸せが溢れていた。大人は、恥ずかしそうに、でも、きちんと笑顔であいさつをしてくれる人、陽気な口調で「一緒に飲まないか。」と、誘ってくる人、のんびりとハンモックで過ごしている人、いろんな人がいる。みんな穏やかな、のんびりとした空気に包まれている。

海岸線沿いにある、竹でできた高床式ロッジには、ベッドとランタンだけがあり、大きな窓を全面開けると、爽やかな風が吹き抜けてゆき、自然の真ん中に佇んでいるような開放感。三食の食事は、メインの建物、母屋にて宿泊者みんなで頂く。島の持ち主で、宿泊施設を運営している崎山克彦氏、順子夫人も一緒だ。新鮮な魚介類を使った料理や、野菜たっぷりのメニューは心も体も満たしてくれた。初めて出会う他の宿泊者との交流も楽しい。ハワイやバリなど、有名なリゾート地を選ばずに、あえてカオハガン島を訪れる、良い意味で変わった方が集まるわけだから、話が合う。

夜は、ロッジのランタンの灯りのだけで過ごす、初めての体験。ベッドに潜り込み、目を閉じてみる。ポシャーン、ポシャーン。ゆっくりと、静かに潮が満ちていく海の音。ザワザワ、ザワザワ。風に揺れる椰子の木が、お互いの葉を擦り合わせている音。チーチッチッチッ。ヤモリが鳴く音。言葉では言い表せないいろんな音が聞こえてくる。初めてくる場所で、真っ暗闇の中にいるという小さな緊張感と、自然が誘い出す心地よい眠気の中、いつの間にか眠りにつく。

朝になると、昨夜までロッジの近くまでたっぷり満ちていた海水が、彼方遠くまで引いている。昨夜は海だった場所は、陸地になって、緑の藻の小さな丘がぽこぽことたくさん顔を出している。

多くの島民が潮の引いた海辺へ出て、貝や不思議な生物を拾ってバケツに集めている。バケツに集められた魚介類は、朝食になるようだ。大きなお皿に盛られたたくさんのご飯と、温かいスープや煮付けを家族で肩を寄せ合いながらほおばっている。村を散策していると、「おいで。」と手招きされ、「食べていったら?」と、誘われているようだ。

ほんの一瞬、島に訪れているだけの旅行客をこんなにも自然に受け入れ、迎えてくれる島民の温かさ。その輪の中に入れば、もう家族になってしまったのではないかと思ってしまうような人懐っこさが、今まで感じたことのない感情を呼びさませた。言葉ではうまく表現できないが、心のどこかに小さな明かりが灯ったような、とても心地よい感覚。もっと長く感じていたい、純粋にそう願った。そこから、その願いが叶うまでに5年もの月日が流れていた。

長期的に島で暮らしてみたいという私からの申し出に、島の持ち主である崎山さんは、「いいよ。おいでよ。」と、まるで「家に遊びにおいでよ。」という感覚で承諾してくれた。舞い上がった私は、すぐに、日本でのぬくぬくした環境と、有り余るほどのたくさんのものを手放した。スーツケース1つ抱えて、2015年2月1日から島に住み始めたのだ。